
こんにちわ。涌井三枝子です。
昭和25年、私が小学校5年生の時。まだまだ戦後の街が未来を模索している時代。近所の写真屋さんの2階から、それまでの聞きなれた和楽器の音色ではなく、洋楽器の音。それは夢の様に軽やかで、甘い音楽。胸が「フワー、フワーッ」と。これが私とバレエとの出会いでした。それがこんなにも長く嫌にもならずに続けられたのは、何だったのでしょう。
私、今62歳です。その間、雨後の竹の子のように流行った稽古事を片端から習いました。その一つ一つが全部自分の人生に花を添えてくれたように思います。世の中食べる事に必死だった時代に、食べる事は諦め(バレエは太ると困るので)、着物はいらないからバレエを、靴は一足で良いからバレエをと。今なら「どうして?」と思われるでしょうけど、戦後の日本は国全体が貧乏で子供心にも、あれもこれも欲しいと親に言ってはいけないと。誰に教えられる訳でもなく、戦時中の「欲しがりません勝つまでは」の精神が残っていたようです。でも先にも述べたように、稽古事だけは毎日毎日いっぱいやりました。母は「戦争で何も無くなったから、三枝子さんの身体と心に入れるお月謝がプレゼントよ。」と言っていました。又、
「お行儀と言葉は無料(タダ)だから美しくね。旅行の宿は、一番上等のホテルに泊まりなさい。安い部屋で良いからね、ロビーやレストランでゆっくりお茶を飲みなさい。」とも。おかげで世界中どこに行っても物怖じしない自分が出来上がっていました。お金のいらない母の社交術。感謝しています。あっ、これも母の語録です。
「あーしんどっ」は言わない!言っても言わなくても一緒だから。フンフンとそこで考えた私。「やるゾーッ」これが又元気が出るんですよ。地位とか名誉とかは、ずーっと遠くの方を歩いてるみたいだけど、私は自分の生き方が大好きでこれからも自由に一生を送ろうと、右手に「やるゾーッ」左手に「花」を持ち続けて生きていこうと思っています。
三年前、母も天国だか地獄だか、どこに転居したか知りませんが、「フッ・・・」と笑っている事でしょう。